江夏名枝「海は近い」

海は近い

海は近い

この詩集に感銘を受けてから何度読み直したことだろう。部屋の中、電車での移動中、様々な喫茶店で、沖縄のホテルで…。

現代詩手帖の年末特集にこの詩集からの抜粋が掲載されていて、それを読んだ瞬間、あっ、これは自分の心を潤しながら刺激する詩集のはずだと思った。美しいフレーズがそれだけで完結せず、他のフレーズの装いすら変えてしまうだろうと。そして一読して驚愕、あまりの完成度に今まで感想を書くことができなかった。

全部で20ブロックの長編詩である。しかしそれぞれのブロックはその全てがシングルカットできそうだ。いちいち心を持っていかれるから読んでいて気持ちがダレることがない。鮮烈なイメージを放つブロック、気持ちをクールダウンさせながら次へと興味を掻き立てるブロック、様々に刺激してくる。だから一読開くと最後まで読んでしまう。中毒に近い。自分で全文iPhoneに打ち込んでしまおうかと思ったくらいに。

出だしがまずいい。

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くちびるの声がくちびるを濡らし、青はまた鮮やかになる。
波打ち際に辿りついて。

波打ち際に辿りついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
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短いブロックの中に2回の反復がある。「くちびる」「波打ち際〜」その後にやってくる「あらゆる心の複製である」というフレーズ。

波が寄せては返す映像、空の青と海の青、2つのものが同時にワンフレームに存在して、その絵面は心地良い。

「くちびるの声がくちびるを濡らし」という出だしは、ひとりの女性が砂浜に立ち、音には出さず 、吐息を洩らすように何事かを呟いている絵が浮かぶ。回想も含みながら。それがくちびるを濡らす。目に映る空と海、そして何かを呟いていた女性は「波打ち際に辿りついて」思う。そうだあの時別の方向に向かっていたなら…。つまり僕は「あらゆる心の複製である」というフレーズをパラレルワールドへの回想シーンとして誤読したのだ。そしてその内容はオーソドックスに別離である。

身も蓋もない言い方をすれば、男と別れた女が海を見ながら彼を思い出している。そんな感じだ。

そして次のブロック。

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聴くでもなく聴く。

濡れた砂の上で取り交わされた、声にならない閉ざされた言葉と言葉。水際に漂うのは、高まりを見せて、やがて静かになり離れてゆく、誰かの捨てた風景のかけらであったのかも知れない。その風景に見捨てられた、誰かの言葉であったのかも知れない。

指先に焦がれる想いをひたして。
錆びつきかけた想いを、あらたにしようとして。そのままに、低い熱をとどめるものたちは繋ぎとめられたままで。渚には彼方からの空気が混じりあい、立ち止まる者をも透かす。
波にさらわれてゆく午後の光に身を晒して聴く。
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また反復だ。しかしその反復は、反復しながらも少しづつ意味をにじませてくる。情景描写が増え、解像度が上がる。朧げに見えていた風景がキリッとしてくる。

「聴くでもなく聴く」というのは、自然に耳に届く音だろうか。ぼんやりと回想はしていれど、心ここに在らずのまま佇んでいることの描写だろうか。

物語の懐胎、動的な部分。「焦がれる想い」「錆びつきかけた想い」の2つが強く心に迫る。「錆びつきかけた想いを、あらたにしようとして」の「あらたにしようとして」が効いている。「あらたにして」ではないところが。細かく丹念に心の動きを追う。急がない、ジャンプしない。その緩やかさがとてもいい。

そして次の3から、「わたしたち」という人称が使われる。「あなた」も出てくる。過去の回想を象徴する名詞も使われて、1・2での繊細でゆっくりした景色が変化していく。カット割りの後に舞台が変わって質感の違う街並みがスクリーンに映しだされるように。

ここまで書いて、きりがないことを知る。全てのブロックを丹念に追って、自分の心に響いた箇所を列挙しながら最後の1行まで行きたい気持ちが芽生えている。でもそれは不可能なので、最後に感じ入ったフレーズを並べてみます。こうやって切り出すことがいいことだとは思わないけれど、即効性のあるフレーズを飛び石にしてどんどん読み進めて行ったので。

1・あらゆる心の複製である。
2・錆びつきかけた想いを、あらたにしようとして。
2・その風景に見捨てられた、誰かの言葉であったのかも知れない。
3・想いの尽きた身体が陽光で埋められてゆく。
3・見つめようとすると記憶の重心に、いま身体の重心に火がともる。
3・澱のような青色を裸足で踏む。
4・にぶい振動にも似た不安の殻が砕ける。
4・音の聴こえない幸福のようなもの。
5・重なりあういくつもの影絵の黙劇をまた名づけようとする…
6・夜の素描画へとさらわれてしまう。
7・受け止めるものが、すぐに燃えさかってしまう。
8・青色の涙を落とすことを許された余白がめくれる。
9・寓意の雨が美しい習慣に降りかかる現世の一日。
10・先回りして想いを見つめすぎ、折れた光に立ち止まってしまうときにも。
10・感情のコスチュームを整えたなら、ゆるぎなき絶望のうちにあるものは放っておく。
11・わたしたちは言葉を脱いで眠る。
12・どこかへと通じてゆく筈の時間から明るく剥げ落ちてしまう。
12・見知らぬ時の所作たちがわたしたちのまなざしを洗う。
13・わたしたちは激しく夜を攪拌する。
14・青は奪回のための色。全身を染めた後に、跡形もなく放下される。
15・抜け殻の身体を牙をたてない無数のくちびるの群れが通り、軽くブレスする。
16・砕けた貝殻を拾いあげると、濡れた砂浜に全能なる者が通過していった気配がある。
17・数え上げ、細やかな配慮が加えられた世界に対する交渉、支配し、さざめいてまた背景へ身を引くわたしたち。
18・この初夏を孤児のようにしてひきとる。
18・世界の片隅に両腕でからみついて、泡のように静かにしている。
19・あなたのこころの裂け目に耳をあてて眠る夜には、無数の寝室のドアが開いて不眠の娘たちが髪をほどいている。
19・時を過ごすとは、つつましく眼を凝らしてつつましく眼をふせる、明るさへの宿りだ。

20・(ここは全文です)・・・
時は小鳥たちのように、わたしたちによくなついていた。
「いつも目覚めていたい」というもっとも深い欲望、そして深い眠りにありたい。均一な透明の陽に宿されて。

波打ち際に辿りついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
・・・・・・・・・・・・・・

やはりフレーズだけを書き抜いても、全体から受けたその感動はあまり伝わらないだろうと思う。でもその欲求に抗えなかったのも事実です。

詩の言葉というのは、自分の内に抱えておくと、何か景色を見た時や出来事に遭遇した時に、ふらっと顔を出す。自分では付けることのできなかった名前を、それぞれの状況につけてくれるようなものかなと思いました。

そしてこの詩集を読み返していて思ったのは、「ああ、俺もこんな風に描写されたい」もしくはしたい、ということです。

例えば自分の日常を日記などで書くとき、〜した・〜だと思ったなど、起きた出来事とそれに対する感想などを分けて記述する。順列で配置するような。

だけどこの詩集ではその区分けがない。出来事も感想も、回想や景色や心の描写も全てが渾然一体となって美の下に集結してランダムに顔をだす。もちろん作者によってコントロールされてはいるだろうけど、それでもどこか偶然性を感じて、その自由さも含めて感動するのです。

仮にこの詩集が「男女の過ごした履歴を回想している」ものだとすれば、今まで読んだ様々な小説と比較しても、ずば抜けて美しい。真っ先に思い出したのは、デュラス「愛」でした。

BGMに様々な音楽を鳴らしていたのですが、やはりどこか静謐さを感じさせる曲が似合いましたね。高橋幸宏のアルバム「Page by Page」なんか心地よかったです。でも一番よかったのは半野善弘のLIDOに収録されている大好きな曲「亡命者」でした。

半野善弘「Refugee」
http://youtu.be/wbsJINY9KNk

Lido

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愛 (河出文庫)

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