電子書籍から始まる?

またもやサイゼリヤで一杯。もうメニューも味も知り尽くしているのに、ついここに来てしまう。テーブルの広さとか適度なざわつき感などが心地いいのかな。まあ安くお酒が飲めるというのも大きな理由だけど。こじゃれたカフェや喫茶店がアルコールだしてくれるといいんだけどね、ベローチェとか。で、仕事帰りに赤ワインがぶ飲み。さすがに一人でマグナム飲む勇気は無いので、4杯分のデキャンタをお代わりしてね。

今はホリエモンの「君がオヤジになる前に」を読んでいる。今朝ダウンロードして、半分くらいまできた。ネットの感想を見ると、賞賛7割ってとこだけど、それってどうなの?という感じ。中身が悪いっていうわけではなくて、この語り口に反発する奴がもっといてもいいでしょと思うんだ。若い奴の絶賛コメントとか見てると、本当に共感できてんの?と思ってしまう。断定口調が逆に心地いいのかもしれないけど、それならリアルに職場の上司に噛みつけばいいのに。

それにしても電子書籍の便利さはこのうえない。新しく新刊が出ると嬉しくてしょうがない。どちらかというと僕は紙の本が大好きで、好きな作家のものは単行本で買い、文庫になっては買う。単行本、新書、文庫。と3パターンかったものもあるくらい(舞城王太郎とかねw)

大きさとか存在感、手触り、年月の経過、貸し借りできること。紙の本にはそういう体感的な喜びや物語がある。その恩恵を僕も多分に受けている。最近はほとんど行かなくなったが、古本屋は大好きだったし、働いたこともあった。家賃を払って間借りして自分の本を売っていたこともある。変な話、僕の20代は本と共にあったといっても過言ではない。

しかし今は電子書籍に夢中になっている。20冊くらいは買って読んだ(本当に読みたい小説が少ない中でこの冊数は多い!)

電子書籍には本そのものの存在感は無い。せめてアイコンが本の表紙になっているくらいだ。存在感は薄っぺら(平面という意味でね)、ブツとしての大きさに違いがない、貸し借りもできない。だけど、スペースがいらない、携帯できるのが電子書籍の利点。「魅力」と「利点」、この言葉の違いが、同じ本なのにどうしても別物として認識してしまう理由のような気がする。

だからだろうか、本当に欲しい本は発売日に本屋で買う。ちょっと欲しいなと思ったビジネス系の本は我慢して電子書籍で買う、という流れができた。結局両方をフルで活用している。そして今の所は、好きな作家の小説がもっと電子書籍になればいいと思っている。過去の作品でいい。それをiPhoneにぶち込んでおけば、ポケットの中がいつもほっこりとしている(茂木健一郎

谷川俊太郎の詩集とかだしてくれるといいんだけどね。必要な時にいつでもそのい文章を読むことができる。iPhoneの画面で少しそっけないかもしれないけれど、言葉の力は媒体を超えて、僕の感情に作用するはずだ。