嫌な過去の噴出

正月そうそう怒り、悲しみ、逃亡した。いい歳して何をやってんだと自分でも思うが、家族の問題というのは根が深い。抑圧されているものが多いから、少し刺激されると一気に噴出する。実家に集まることになっていたが、駅で待っていた父親とその場で喧嘩し、ふざけるな!とそのままトンボ帰りした。弟や叔母さんから電話がきたが、もう自分は火柱状態だったので関係のない人にも怒鳴り散らす始末だ。もやもやしたまま酒場で飲み始めたが、塞いだ気持ちに拍車がかかり、怒りながらも、何故自分は許せなかったのかと、今度は自分を責めてしまうばかりなので、直ぐに切り上げて家に帰りふて寝した。

家族なら分かり合えるのが当然?本当だろうか。それは親側の勝手な思い込みじゃないのか。年に1回会うかどうか、そんな関係を20年続けてきたってことはもうあなたの理解している俺ではないってことなのに、あいも変わらず自分のやり方だけで接してくる。

40歳にもなれば、ほぼ自分の外見は固定している。あとはそこから老化が始まり、いまの姿形をベースにして変化していく。僕の顔は親父にそっくりだ、歳を重ねれば重ねるほどそれは顕著に表れて、自分でも嫌だと思っていた。あんなに反面教師にしていた酒も、中毒とまではいかないが飲んでいる。これではアル中で家族に迷惑ばかりかけているあの親父とおんなじだ。

昨年は家族に大きな出来事があり、それが解決したので今年は一丸となって生きていこうと思っていた。その最初、新年の集まりだから元気よく挨拶をかわし、きちんとした正月を迎えようと考えてた。

駅で親父が待っているから早く来いとのメールが入り、嫌な予感がした。正月だから酒を飲んでいるだろう、もしかしたら酩酊しているかもしれない。あの暴力的な顔つきで待ってたらどうしようと思って、遅れるから家に帰ってていいと叔母さん経由でメールした。しかし待っているとの返答。

そして駅についたら案の定酔っている。みすぼらしい格好でベンチに座っている。その顔は僕そのものだった。サンダルでフラつきながら、呂律の回らない声で、こっちの顔もろくに見ることができずに、生気の無い声で「よお」と言う姿は成れの果てだ。おぞましいという言葉が脳裏をよぎり、瞬間怒鳴ってしまう。正月くらいきちんとしろ!と発声したが最後、自分でも何を言ったか覚えていない。そして親父は謝るわけでも、反論するわけでもなく、お前先に家帰ってろ、だ。

帰りの電車内で幼い頃の記憶が一気に噴出する。家の中を飛び交うビールの空き瓶。近所の酒屋に安いウイスキーを買いにいかされたこと。僕達兄弟にはそんなになかったが、婆ちゃんが殴られたり八つ当たりされたりしていた映像もよみがえる。極貧と酒の相性はばっちりだ。そしてホステスの女、何人もの新しいお母さんだよ。決まった台詞。少しでも仕事がうまくいくと金をばらまき猫なで声で好きなもの買ってやろうか。地方に行けばそこでも女を作り子供も産ませ、結局うまくいかずに別れて実家に戻ってくる。歳をとって全てがうまくいかない時には、お前早く子供作れ、作ってしまえばなんとかなるんだからと、自分勝手なことばかり言う始末。

もうほぼ関係ないのだから、適度に、はいはいといなしながら、酔ってるからタクシー乗ろうぜと何故言えなかったのか。寝たきりの婆ちゃんが楽しみにしてた正月を僕は壊してしまった。嫌な空気を実家にもたらしてしまった。どうしてもっと強く在ることができないのだろう。全部を包み込むような大らかな心が内から呼び出せないのだろう。本当にしょうもないこと。クソくだらないエピソード。

新年早々すいませんでした。

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