アートの快楽


相当な昔に自分でも絵を描いていた時期がある。全くの我流でデタラメでいろんな画家のパクリにしか見えない絵。それでも描けば楽しくて、恥ずかしいながらも誰かに見てもらいたくなる。

当時住んでいた場所は大通りに面していて、目の前は区役所、人通りが多かった。僕の部屋は4階だったので、お金がなかったにもかかわらず、3mくらいのキャンバスを買い、そこに絵を描き、まるで布団を干すようにもの干し竿に吊るした。ほらっ、そこを歩く全員!俺の絵を見たまえ!これがパンクだぜ!なんて今思えば若気の至りの何者でもないのだが、敵に向かって何かを投げつけないとしょうがなかったのだと思う。20歳の頃。

その後もやはり絵は好きで、展覧会や美術館にはよく行った。ポップアートコンセプチュアルアート、実験的すぎてわけのわからないインスタレーションも含め、見ればどこかが刺激される。でもその理由はわからない、というかあまり考えることではなくて、つまり感じたかったのだろう。作品と直接対峙することによって。

そしてお気に入りの作家のポストカードを買ったり、作品集や図録を手に入れたりしていたけど、この歳になるまで現物を買ったことはなかった。もちろん値段が高くて、僕の生活レベルでは到底無理だということもあった。しかし、絵を買うという行為が、なんだか金持ちの道楽みたいだと勝手に思い込み、格好悪い行為として認識していたのも理由としてある。

そのまま20年が過ぎた。今までに手に入れたおびただしい数の画集や図録、写真集なども含めほぼ全て手元に残っていない。引っ越しの度にどんどん処分した。人にもあげた。唯一残っているのは金子國義の作品集と写真集だけだ。そんな状態でたまたま出会ったのが禁断のフランス・エロス (トーキングヘッズ叢書 第 30)だった。

その内容の充実さに驚き、狂喜乱舞しながら隅々まで読み込んで、やはり山口椿はすごい!とかモリニエはどうしょうもねぇな!なんて思いながら堪能したのだ。ちなみにモリニエのこの本(モリニエ、地獄の一生涯)はとんでもなく面白かったです。

そしてこの特集が素晴らしいのは、いろんな人の挿絵がたくさん描かれていること。その中でもバタイユ眼球譚」の紹介ページに描かれていた林アサコのコミカルな絵と、アナイスニン「小鳥たち」のページに描かれた古川沙織の細密画に心を鷲掴みにされた。他にも、文山未絵の「ジャン・ジュネの間」と記された饒舌である意味超絶技巧の1ページも素晴らしい。どの作品も、挿絵のレベルではなく一枚の絵画として飾りたくなる出来映えなのだ。フランス文学、特にエロティシズム方面が好きな方には文句無くおすすめできる一冊です。

前置きが長くなったけど、ここからが本題。その古川沙織の画集(ピピ嬢の冒険〜L'aventure de Mademoiselle Pipi)が同じトーキングヘッズから出版されることになったのをTwitterで知った。狂喜乱舞とはまさにこのこと、まだかまだかと発売を待ち、ようやく手に入れた時の喜びは、好きな小説家の新刊を楽しみにするのとは別の感情で、何だか胸が苦しい感じだった。そして何度も眺めた。あまりに美しくて淫靡な作品たち。眺めている間に部屋の照明が勝手に暗くなっていく感じ、まさに引きづり込まれていくこと、そのもの。細密さが醸し出す凄み、虚ろな眼が物語る隠された世界への誘い。その時僕は、金子國義を初めて知り衝撃を受けた時と同じ興奮を覚えていた。

Twitterを始め、いろいろと情報収集するに、すでに個展は終了していた。その情報もわかっていたのになぜか出向かなかった。だから次回は、と思い銀座のヴァニラ画廊に行ってみた。

そして生の絵を見て思う。あ、これ欲しい。画集で感動してた俺はバカではないか!今までも散々本物を見てきたのに、生で見る迫力のすごさを知っているはずなのに、なぜ最初の個展に行かなかったのだと激しく後悔した。くまなく見て、一枚の絵に強烈に惹かれた。しかしその場で購入する勇気がなく、一日考えた結果、やはり欲しくなり画廊に電話するも売れてしまっていた。あの時の落胆たらなかった。目を閉じ、天を仰ぐあのポーズが自然に出てきた。あああ、やっちまったー! そしたら画廊の人が、でも昨日新作が入ったのですというので俄然色めいた。すぐさま写真を送ってもらい、今度は後悔のないよう購入の約束をした。大きさは本意でなかった。最初に欲しかったものに比べて小さすぎた。でもこれで所有できるのだという喜びのほうが大きかった。

そして届いた絵を見て、ああ俺は自分のファーストインプレッションを信じちゃダメなのだと思った。金色の額に収まったミニアチュールの存在感は素晴らしい。何度見てもうっとりするし、額の中から甘ったるい香水の香りすら漂ってくるようだ。

そんな時に、古川沙織が中井結と共作した作品が販売されたことを知り、もう後悔しないと意気込んで速攻で手に入れる。そして届いた作品をみてため息が出る。なんでこの虚ろな表情が、世界が台形に広がっていくような奥行きが、衣服の透けた感じと完璧というしかない構成・人物の配置が鉛筆で表現できるのだという驚き。鉛筆の柔らかい表現が浮遊間を醸し出している。その中央に古川の描くいくぶん肉感的な女性が配置され、わけのわからない世界になっている。ここで中井結という名前がインプットされた。

そこから中井結の作品をいろいろと見てみる。モノクロの鉛筆だからPCの画面だと印象が弱い。しかし俺は自分のファーストインプレッションを信じないから、さらっと流さずにゆっくり見る。拡大もする。億劫がらずにいろんなページに飛ぶ。そして認識、これすげぇ。人物の各パーツ、その長さと細さ、曲線と直線の割合が黄金比率だ。なんかもうバルテュスとかどうでもよくなってくる。「放課後の日々」「ねがわくば花の下にて春死なん」「羨望」「百合」などあげればきりがないが、天才だと思う。何層ものレイヤーが透けたりする技法も、それがそのまま背景の遠近になっているところも、全くもって感動的だ。追いかける。

そしてもう一人知った。アケミックス。ぱっと見は可愛い水彩画。でもちょっと毒がある。いや違う、毒はないや。女の子が幻想的なんだ。背景や描かれているアイテムから幻想をイメージするのではなく、女の子自体がファンタジックで、重力が存在してないかのよう。七色のストールが地上5センチをつねに漂ってるような。そして色彩もいい。これだけ色を使って、なぜ散漫にならないのか。それは水彩独特のものなのか別の理由によるものなのか。彼女の作品は本の装丁に使ったら間違いなく人目をひくはず。あと絵本になっても嬉しいな。水彩の滲む感じ、今までまったく知らなかったけどいいね。

という感じで少しづつ集めているのです。花もそうだけど、目の快楽を満たすにおいてアートは本当に素晴らしい。ポストカードもバカにできない。画廊に行ったから手に入ったものもある。古川沙織のポストカードは表面がツルツルの印刷になっていて、黒がぱきっと、エナメルみたいな光沢で、これが絵とも画集とも違った印象を与えてくれる。

さぁ、次はどんな作品に出会えるのだろう。この喜びを味わうために、僕の視力は日々上がっているような気さえしてくるのだ。
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