「記憶喪失になったぼくが見た世界」坪倉優介

TVのチカラはすごいですね。放映された翌日に書店に買いに行ったけどすでに売り切れでした。時間は経ってしまったけどようやく購入して(増刷かけてたのね)読み終えた今、静かに興奮しています。

泣けてくるエピソードもたくさんあるけど、とにかく人間の可能性を感じさせる本でした。「再生」というキーワードは今まさに必要で、そんな現実にリンクする力強いメッセージを勝手に感じ取りました。あの番組と茂木健一郎に感謝します、ほんとに。

記憶喪失にも種類があるのだろうが、著者はほとんどの記憶を失った。食事とは何か、お金とは?家族とは?悲しい?嬉しい?それは何。甘い辛い塩辛いもわからない。概念が抜け落ちてる。ヌイグルミとは?車とは?電線とは?様々な知らないモノ、ことの洪水が無垢の心を苦しめていく。18歳の0歳児は苦痛に喘ぐ。しかし言葉、そして意味を知らないのだから解決ができない。考えても結論までたどりつけない。

壮絶な闘いだっただろう。時々はさまれる母親の談話がその裏付けをきちんと教えてくれる。しかし時が解決することもある。彼が成長するにつけ、新しい事を知る度に世界が広がる。それによって苦しみも増えるが喜びも増えていく。

初めてスニーカーを履いた時の驚き!
「スニーカー、紐の結び方ひとつで、足から伝わってくる気持ちをこんなにも変えられるのか」

なぜ赤や黄色のご飯はあるのに青いご飯はないのかと、ブルーハワイで炊き込んでみたご飯を前に感じたこと。
「炊飯器の前に立ち、ゆっくりと蓋を開いた。そしたら入道雲みたいなゆげが「ぶわっ」と出てきた。しゃもじですくいってみると地球にスコップを入れるような感じがしてドキドキした」という文章に感動し、どこかの詩人が言った「石油を掘削する映像は地球が血を流しているいるようだ」という言葉を思い起こさせた。

UFOキャッチャーを前にしては「キラキラ光るもの(多分100円玉?)はこんなかわいい顔をしてるものに変わるのか」と感じ、そして中に入っているヌイグルミを見て「ぼくがもっている光るものを使って、こいつらを外にだしてやろう」とコインを投入する。しかし「一人を助けても中に残ったやつがみんなこっちを見ている、その目がかわいそう」と持たされたお金を全て使い切ってしまう。このエピソードはTVでも本人が直接言っていたけど、これを聴いた瞬間、僕は完全に凍りついた。そしてこんな風にしか表現できない彼に同情するとともに、この表現の美しさに打ちのめされていた。何なんだ?人間ってよぅっ!!!!!!!あああああああああっっっ!!!!!と感情がせきを切ったように溢れ出て全身がビリビリした。

感情的にしか感想を書けないんだけど、今までに知らない表現が頻出する。そう表現するしかない彼の、もう一度人生を生きなおす行為をこうやって読めることは奇跡にも近い。最後に、だんだん回復し、仕事を手に入れ一人暮らしもできるようになった彼が言った言葉を。

「今の僕には無くしたくないものがいっぱい増えて、過去の18年の記憶よりも、はるかに大切なものになった。楽しかったことや辛かったこと、笑ったことや、泣いたこと。それらを全て含めて、新しい過去が愛おしい」

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