「ECDIARY」ECD
新作も発売されたばかりの(何にもしないで生きていらんねぇ)孤高のラッパーECD。僕がその存在を知ったのはこの本だった。小西康晴のレディメイドインンターナショナルからの発売。新書より横幅が少し広いコンパクトな大きさ、オレンジ色のPOPな装丁。
日記の体裁をとってはいるが、かなり内容の深い本や音楽のレビューになっている。数は多くないが、シンプルで的を得ているからすぐ手に入れたくなってしまう。たとえばこんな。
「暴力論ノートー非暴力直接行動とはなにか」向井孝
・アナキストは全てを否定してしまう、などといわれる。しかし、アナキストが求めているのは、この本に書かれているようにごく当たり前のことである。
「私たちにとって非暴力とは日常のことである」
「ものをつくり、そのために働くこと」
「それが自治管理に結びつく」
「自治管理社会として非暴力状況をみずからで具現する」
これがアナキズムが求めるものである。そこに国家による支配など必要ない、そう言っているだけなのだ。
簡潔でわかりやすいレビューだ。他にも、「自分がモリッシーを良いと思ったのは、吉井さん(吉井和哉)に似てると感じたせいもあるかもしれない。歌声が同じ琴線に触れるのである」
なんて文章に膝を打つ。決して声が似ているわけではない。曲が似かよっているわけでもない、けれども同じ琴線に触れるということに激しく同意する。僕のiPhoneにもモリッシー&吉井のフォルダがある。
仕事のこと、音楽活動のこと、サウンドデモや輸入版規制に対する意見、TVを見ていてふと思ったこと、そして日々の生活から発見されたことなどについて、たんたんと記述される。文章のトーンは穏やかだ。ある人にとってみれば、抑揚のない平板な書き方だという人もいるかもしれない。しかし僕はこんなフラットな語り口にひどく感動する。なぜだろう?はっきりした理由はわからないのだけれど。最後に引用です。
「昨日のデモは逮捕者も出ず、警察の警備も少なく、お天気にも恵まれ、人も集まり、カンパも集まり、とよいことずくめだった。それなのに僕はデモが出発してもしばらくは、警備の少なさが腑に落ちず、イマイチ楽しむことができなかった。まただ。あの感じだ。悪いクセなのだ。うまくいきすぎると不安になる。」