この気持ちに終わりがないかそっと胸をたどる


好きなものが同じカップルと嫌いなものが同じカップルではどちらが長続きするだろうか?

最近、恋とか愛について考えることが多い。はっきりとした答えは無いよ、実践して初めてその片鱗がつかめるんだよ、ということはわかっていれど、つい頭に浮かんでしまう。僕自身も恋人とともに生活しているので、いざこざがあるたびにそう思うんだけど、いつも答えがでない。

若いときは圧倒的に好きなものが同じ人がよかった。というかそもそも「嫌いなものが同じという組み合わせ」を想像したことがなかった。そりゃ好きなものが同じなら楽しい。本も映画も音楽も。空間や食べ物やファッションも。新しい作品が登場すればその分だけ共有できることが増える。過去に好きだったものを嫌いになるケースもあるだろうが、自分が嫌いになりかけていてもパートナーがまだそれを好きだったら、そこでストッパーが働くだろう。つまりはどんどんプラスしていく関係。

逆に嫌いなものが同じ場合は、これは後づけでわかったことなんだけれども、生活が安定する。共有している日常の空間には、自分が嫌いなものは持ち込まれず、不快な思いをしなくて済む。しかし自分が心躍る好きなものが登場した時に一緒に喜んでもらえる可能性が低い。

いやいやそんな極端なこと言うなよ、両方ともあるよ、好きなものも嫌いなものもある程度かぶってる。というのがほとんどだと思うけど、そのバランスがどちら側により振れているか、ということで考えてもらえればいいかな。

今の自分の状況としては、嫌いなものが似てるほうに針は振れている。ゴキブリからアイドル、その他こまごまと。そして好きなものはほとんどかぶらない。映画や音楽の一部と食べ物くらいだろうか。

好きなことを共有したいときは友達と会ってしこたま話をする。各種SNSも含め。そうして楽しい時間を過ごし、また家に帰る。だから我が家にはタブーがあまりない。好きなときに好きな人と遊びに行ってOK。男女二人だけでも構わない。特に連絡もいらない。えーマジ?心配じゃねぇの?と友人はいうが、僕は自分が完璧だとは思ってないから、彼女に対して僕よりも楽しい時間を過ごさせてあげられる人がいるならどんどん会いにいけ、というスタンスだ。そこで刺激を受けて自分も楽しくなってもっと魅力的になってくれればいいと。その輝きだした彼女を見て、僕自身も満足できるだろう。これは相手を思ってのことではない、より奇麗な彼女を眺めていたいという自分のエゴだ。時間の経過によって感性は確実に鈍る。だからそこに対するエネルギーを補充する機会があるならば積極的に活用せよと思う。

嫉妬しないの?ともよく言われるが、そもそもわからない相手に嫉妬するくらいなら信じていたほうがマシだ。世の中に確実なものなんてない。自分の胸に手をあてるだけでそれはすぐにわかる。楽しいことに引きずられようと、心はいつも待ち望んでいる。友人達は特に、浮気の可能性を心配してるのだと思うが、それこそ信じるしかないじゃないかと思う。やる奴はやる、やらない奴はやらない。ばれて別れることのリスクをとってまで浮気したいのならそれでもいいと思う。ばれたら結局別れるだけだ。ハレとケ。そのケの部分、すなわち日常を共有しているのだから、ハレに執着していると日常がおろそかになり、そこからほころんでくる場合もある。

ならば今のあんたの生活はいいじゃない、といわれそうだが、これが一筋縄ではいかない。安定はしているし仲も良い。相手はどう思っているかわからないが、ほとんど喧嘩がない。好きなものが違うと、自分はその世界のことをあまり知らないのだから否定しなくなる。日常の範囲で多少意見することはあっても(特にファッションが多いかな)それは俺嫌いだから絶対にやめてくれ!ということはない。なんせ相手は大好きな世界なのだから。

そんなふうに生活をしてきたが、最近少し考えが変わってきた。やはり好きなものが同じほうが結果的にうまくいくのではないかと思い始めた。でもこれはあくまでも自分の場合において。最近、まるで厨二病かモラトリアムの洗礼を受けたように自分のことを見つめ直した。本当はどこにもない自分探し、というわけではなく、どうすれば充実していくのかな君は?というスタンス。

お前はどうしたいのだ?という漠然とした質問からどんどん枝分かれさせていき、じゃあお前の「生」においてお前はどう自分を喜ばせ、何をしていれば一番輝くのだ?と思う時、やはり自分の好きな世界を誰かと共有している時間を過ごすことはかなり魅力的だと思ったのだ。さらに言えば、具体的な固有名詞だけでなく、〜を好きな自分の感性を認めてくれる連中が近くにいると楽しいだろうと考えた。人生において、どういう場面でというのはわからないが時々爆発的なエネルギーが必要になる時がある。静かに安定した繰り返しは心を穏やかにキープしてくれるが、そこに対応できない。意識的にハレの世界に自分を放り込まなければならない。

とするならば、自分の調子が悪い時、自分で回復させようとまずすることは、好きな世界にどっぷりと浸ることである。いいなぁ、かっこいいねぇ、どきどきするよなやっぱり、なんていうふうに心を充たしてやるのだ。そして、そんな時に自分の愛する人も同じように充たす行為に参加してくれたらどんなに素敵だろうかと思うのだ。その効果は、バイクのエンジンが50ccから750ccになるくらいではなかろうか。

この話、かなりふくらみそうなのでまた書きます。

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