アマリアの別荘

パスカルキニャール久しぶりの現代を舞台にした小説「アマリアの別荘」を読んだ。

わがまま?臆病?精神分裂?とうてい理解不能な女性が、今までの自分を消去して新しい生活を始める。その先に待ち受ける様々な出会い、別れ、死別、魂の解放なんかを難解な現代音楽さながらに、時々爆発的インパクトをもった詩的フレーズを散りばめながら綴った物語。

話者はコロコロと変わり、それは唐突で、時間の流れも統一感がなく、場所の移動も、風景の描写も自由すぎて、きちんと理詰めでついていこうと思ってもぼくには無理だった。ジャズの即興や、ノイズか芸術か紙一重弦楽四重奏が奏でる音楽のように、わけのわからない部分と激しく共感する箇所が、不安定なリズムでやってくる。

ならばつまらなかったのか?いや、むしろこの振り回され方が心地良かったのだ。自らの魂が望む通りに行動すること。それははたから見たら無軌道で、無分別な行動だ。つまりわがままだ。だけど彼女はシリアスに、愚直に、突き進む。潔いといえばそうだが、それは多分に狂気を孕んでいる。危険な香り、死の匂いを振りまく。そして何人かは死ぬ。そこに教訓などない。彼女は歳をとる。まだ生きている。そして物語は突然終わる。

映画「ピアニスト」や「ママン」を思い出した。自由に突き進んだが故の破滅。イザベルユペールの死臭漂う官能的な表情。そんなことを思いながら読んでいたら、実際にイザベル主演で映画になったとのこと。暴力的な太陽突き刺す海辺の小屋での奇妙な生活がどう映像化されたのか。

何日か引きずるヤバイ小説、しかしここには、劇的に美しい何かが表現されている。連れ去られた感。


comptine d'un autre ete - yann tiersen

BGMには映画「アメリ」で一躍有名になったヤンティエルセンの、悲しみを纏った、けれど決して悲痛さは感じないピアノ曲を。