「自分をいかして生きる」西村佳哲


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<仕事>は<人生>と、<働き方>は<生き方>と背中合わせで、他の誰にも肩代わりできない一人ひとりの<生>に直結している。

仕事と真摯に向き合う人々の支持を受けて読みつがれる、「自分の仕事をつくる」の6年越しの続編。人間の一番の大仕事は「自分をいかして生きる」ことなんじゃないか?「働き方研究家」による、ワークスタイルとライフスタイルの探検報告・第2弾。

帯の紹介文ですが、本書の内容を的確に表している。この文章に共感できたらとにかく読んだほうがいい。読み終えた時には「自分をいかして生きる」という言葉がより重く、深く感じられるはずだ。

誰にとっても他人事ではない問題、それが仕事。なぜ?という問いを繰り返しその意味を探究する著者のナイーブさは時に青臭く映るかもしれない。そんの理想論じゃん!そんなこと言ってたら飯食えないよ!なんて。

でもそれをやらないといつまでたっても今までと同じアプローチでしか仕事に接せない。どんな仕事についていようとも、慢性的な不満が通低音のように響いている日々。もちろん仕事を通じて誰かと知り合ったり、思い通りの成果をあげてそれが賃金に結びついたりするような小さな喜びもあるにはある。しかし何だかもやもやしている。そのもやもやは社会人になってから20年経った今、どれだけの総量になって自分に蓄積しているのかわからなくなってしまった。だからこんな一文が心に響く。

「どんなことでも集中してやれば、身体と意識が覚醒する。惜しまずに愛を注ぎ込めば充実もする。なにをするにしても、存在を存分に投入して働くのは、とても大切なことだと思う」

時にはこの身を投げ打って仕事に勤しむこともある。あるプロジェクトが間に合わず徹夜したり、バイト君が突然休んで、シフト無視の朝から深夜までの店番とか。しかしそうやって働いていた時に、惜しまずに愛を注ぎ込んではいなかった。愛どころか逆に貧乏くじ引いたなあとか、なんで俺が困るのわかってて彼はいきなり休めるのだろう?なんて恨み節ばかりだった気がする。むかし絵が好きで自分で描いていた時には徹夜なんてへっちゃらで、時間も愛も存在も全て投入していたはずだ。20年経ったいまでもその感覚はギリギリ知覚、体感できる。

力。ある企業の社長が、「人が成長する仕事は、やりたい・できる・やるべきという3つの動機を備えている」と語っていた。基本的には同意できる話だ。ある社会起業家は「天職とは、好きなこと×得意なこと×大事だと思うこと」だと説いているが、語られているのはほぼ同じことだと思う。好きだとかやりたいといった一本足ではなく、この三本足で自分の仕事を考え、立たせてみようということ。

本文より引用した上記にあてはめてみれば、今の僕が従事している仕事はあてはまる箇所が無い。残念だけど今の仕事は<好きではない・得意ではない・大事だと思っていない>から。それでも仕事はできるし賃金も貰える。食っていくだけの仕事。しかしそれをこの先もやっていくのか?

期限は迫っている。

様々なアフォリズムに溢れた本書は分岐点に立った時、道しるべのような役割を果たしてくれるだろう。奇しくも今の僕がそうだからだ。大きな決断に対して自分で自分を裏切らない為に、一緒に並走してくれる本書に出会えたことの意味をもう一度考えてみようと思う。


BGMは斉藤一義「アゲハ」。青臭さ満載だけど今の僕には丁度いい。胸にダイレクトに飛び込んで来るメッセージに背中を押してもらおうか。
斉藤和義 - アゲハ