「世界クッキー」川上未映子

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村ランキング参加中です!

ちょっと変わった娘さんだこと。そんな台詞がポロリと口をついて出る。

桜を愛しすぎて、見たり、愛でたりできない彼女は、酔った勢いで夜桜の咲く道を歩き、その美しさゆえに食べてしまったそうだ。その文章がこちら。

「何年も前の夜、酔っ払った勢いで夜桜の咲く道を歩いてみたらば、やはりあまりにも美しくて、おまけにわたしと桜のふたりきり、幹を削って食べてしまった。小さな枝のところも、花の蕾も。そうしないことには、なんだかもう一歩も動けないような気に、なったのです。(P157)」

愛情高じて噛み付いてしまうというのは考えられる。あの行為の最中にもつい甘噛みしてしまった、された経験はないだろうか。あとは子供・幼児が反射神経的に、気になるモノを口に入れること。

おまけにわたしと桜のふたりきり。この一文から、生きてはいるが、動けない桜の幹が、まるで人であるかのような映像が浮かんでしまう。それを削って口にすることは、革を剥いで口にするようなものだろうか。純粋さの塊は時にホラーめいた行動を想起させる。映画「ベティーブルー」の一場面、ベアトリスダールが、食事中、皿とフォークで両手のふさがっているジャンユーグアングラードの膝に、襲いかかるように飛び乗るシーンが思い出された。

その他にも印象的な記述が多数出てくる。

「この空の果てのひとかけらの成分と、この自分の奥にあるひとかけらの成分はきっと同じものでできているのです」

夢野久作の文章(ミスタイプで、ぶんしょうう、と打って変換したら、文章雨と出た。なんか映像的で得した気分)らしいけど、とても詩的だ。この文章が引用されている項「夜のなかに見えるもの」は3ページ全てが美しさに溢れている。ある情景に、言葉にできない美しさを感じたとしても、それをあえて言葉にしようと格闘すること。その過程で滲み出てきた詩的と呼ぶしかないなにかに心震える。

ひとつのエッセイが大体2・3頁とコンパクト。なぜ?どうして?という問いがよく立つみたいなので、エッセイのひとつひとつはどうしても哲学的様相を帯びている。けれど難解とかそんなのではなくて、これが「思う」ことの純粋なんだなと妙に納得してしまうこの、ともすれば風変わりに映るエッセイ集もまた読み返すことが多くなりそうな予感がする。


BGMは川上未映子もファンを公言しているエレカシの「桜の花、舞い上がる道を」。素敵に力強い曲。ほら、そこに新しい世界が開けてくるような、気が。
桜の花、舞い上がる道を