「観光」ラッタウット・ラープチャルーンサップ

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発売当時相当話題になって、どうしようか迷ったあげくに、タイの作家だということで敬遠した一冊。なぜか昔からアジア圏の作家には興味がわかない。でも残雪の「突囲表演」みたいな凄い作品にも過去出会ったことだしと、今回文庫化したので思い切って買ってみたのだけれどこれがそうとう良い。まだ最初の短編「ガイジン」を読んだのみだが、あらゆる描写の表現力、テーマ、会話ともにバランスがとれていて、しかも密度の濃い一編だ。才能もビシビシ感じる。説明しすぎの自主映画みたいな感じ。

観光地に暮らす少年の生活の一場面がそのじめじめした気候とともに語られる。出だしはこうだ。

ぼくたちは暦をこんなふうに分けている。六月はドイツ人ーーサッカー・シューズ、ばかでかいTシャツ、分厚い舌ーーがやってきて、唾を吐き捨てるようにしゃべる。七月はイタリア人、フランス人、イギリス人、アメリカ人がやってくる。イタリア人はスパゲッティに似たパッタイがお好きだ。明るい布地、サングラス、革のサンダルがお気に入り。フランス人はふくよかな娘、ランブータン、ディスコ・ミュージック、胸をはだけるのがお好みだ。
イギリス人は青白い顔をなんとか見映え良くしようとここに来て、ハシシが大好物。アメリカ人はいちばんデブでいちばんケチ。パッタイや焼きエビ、ときにはカレーが大好きな振りをする。でも、週二回はじぶんたちの料理、ハンバーガーとピザを食べる。最悪の酒飲みでもある。

この的確な描写に引き込まれて読み進めていくと、主人公の少年のママはこう言い放つ。

「おまえがいくらこの国の歴史や寺院や仏塔、伝統舞踊、水上マーケット、絹織物組合、シーフード・カレー、デザートのタピオカを見せたり食べさせたりしてもね、あの人たちが本当にやりたいのは、野蛮人の群れのようにばかでかい灰色の動物に乗ること、女の子の上で喘ぐこと、そしてその合間に海辺で死んだように寝そべって皮膚ガンになることなんだよ」

例えば同じようにタイに旅行する主人公を描いたミシェルウェルベックやウィリアムTヴォルマンならどういう描写をしただろうか?とふいに思う。

そして少年はまた、旅行者の女の子と関係してしまう。おそらく度々あることなのだろうけど、ママに向かって「これは愛かもしれない。本当の愛かもしれないよ、ママ。ロミオとジュリエットみたいな愛さ」と言うが、それはホルモンのせいだ、あたしはお前をそんなバカに育てた覚えはないよ、と一蹴されてしまう。だけどこの一文がこの小説のキモだ。少年はそう思っているが、相手の旅行者の女の子は少年のことを、外国で少し羽目を外すための遊び相手にしか思っていないというズレ。

そしてある女の子との情事があり、クリントイーストウッドと名付けられた少年が飼っている豚も登場し、高密度のまま話は進む。最後のセンテンス、レストランで会っているところを相手の女の子のパートナーに見つかってからの行動が、この小説が切なさを伴って響いてくる瞬間だ。出来事としては他愛のない状況を、こういう風に描くなんて素晴らしいなと思う。勿論翻訳者の功績も大きい。

先の短編も俄然楽しみになってきた。生ぬるいビールを飲みながら休日の昼間にベランダの長椅子に寝そべって読むのがいいだろう。しかし残念ながら僕の住むマンションにはそんなスペースはないのだった。


BGMはTHE  THEの他に比較のしようがない独特の質感を持ったアルバム「DUSK」から何曲か浮かんだが、聴いていたiPodのシャッフルで久しぶりに聴いたハシケンの名曲を。
ハシケン / グランドライフ -7L3EPT-