宮尾節子「恋文病」

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ずっと感想を書こうと思っていたけど、うまくまとめられなかった。でもようやく重い腰をあげる。拙い言葉でも伝える事が大事よねと自分に言い聞かせながら。

まずタイトルがいい。「恋文病」。これで欲しい気持ちに95%の灯りがともった。「恋の病」も「愛の病」もあれど、「恋文の病」という一方的な思いの病気。この「恋文病」という、字づら的には純粋な気持ちを一瞬想起させられる言葉、よく考えれば執念深い。一方的に思いを綴るのは相手あってのことかそれとも、ラブレターを書くような切実さで、詩を書く病気にかかってるのよあたしは、という作者の宣言か。なんて妄想が次々に浮かぶ。

作者の宮尾さんは、Twitter上でいろんな方と連詩をやっていて、それを僕はいつも楽しみに読んでいるのですが、その印象は一言でいえばアクロバティック。イメージの飛躍のさせ方もそうだけど、ひらがなと「、」や「。」の使い方が、意図的に手足を脱臼させることができる大道芸人のように自由。だからその自由さに誘われてこちらも自由な気持ちで読むことができるのですね。

この詩集もそんな詩がたくさんつまってるのかと思い読み始めたのですが、全く予想だにしなかった詩が並んでいました。軽々しく空中ブランコを往復する羽は使われておらず、地に足をつけて一歩一歩進んでいくような実直な印象を受けました。ただ、それが堅苦しいというわけではなくて、着実に言葉を貼り付けていくという印象ですかね。

全体では4つのブロックに分けられ、計48の詩が並んでいます。そして読みやすくわかりやすい。例えばこの詩。

・・・「ホテル」・・・
ホテルが
好きです。

響きが
ホタルに似てるから
夜には
明かりが灯もるから。

ホテルが
好きです。

眺めがよくて
眠れるところが
天国に似ていて

おはよう
ございますと
朝食が
付くから。
・・・・・・・・・・・
とてもわかりやすいですよね。ホテルとホタル、夜には明かり。やわらかく静かに、それこそ明かりが灯もるような書き出し。そして眺め、眠れる、天国という並びも、ああそうよねと頷ける。だけど最後のバースが少し唐突に出てきちゃった感じが僕はするのですが、他の人はどう思うんだろう。夜→明かり→天国→おはよう。と一日の流れを、朝食が付くからという言葉を添えることによって前向きなイメージで切り取ったのかな?


・・・「詩人の木」・・・
風が
斜めに飛んでいく
詩はあの一本の棕櫚の木の
光っている葉と
いない葉だ
・・・・・・・・・・・・
とてもきれいです。特に最後の、光っている葉といない葉だ、というところ。読む人、というか短い詩なので、見る人、かな?によって浮かぶ情景は様々だと思うけど、僕はすぐさま新宿御苑を思い出しました。もちろん自分の体験した過去のワンシーンです。その時棕櫚の木があったかどうか、あったとしても見たのか、見たとしても葉がキラキラと輝いていたのか、などと記憶の探索を何時の間にかしてしまいます。そしてこの詩を読んだが為に、僕の記憶は、自分がイメージした一番きれいな映像でリニューアルされ、もう一度記憶の底に潜ります。裏と表、光と影、メインとサブ、その淡い?つまりは全部?どこまでも考えられるシンプルながら深い詩ではないでしょうか?


・・・「溺」・・・
差出人は忘れて欲しいが
うつ伏せになった時
背中に届いた

いちばん
みじかい
恋文
だった

入れ墨みたいに
指文字でーー

ばかが読めずに
何度も何度も
指の飛沫(しぶき)を
あげさせ
ている
・・・・・・・・・
どう感じたでしょう?僕は、切なくてエロティックで幸福の絶頂を思いました。ただ一番最初に、差出人は忘れて欲しいが、というフレーズが置かれていることによって、何通りかのイメージが浮かびます。

・私は覚えているが、とうの本人のあなたには忘れて欲しい。
・詩を書いている本人が、過去の自分に、もうその名前は忘れなさいと言っている。

どちらにせよ一瞬の幸福が過去のものであることによって、この思い出は、いま、ここに書きつけた私の、しかも一瞬のものだからね。というメッセージに聞こえる。

ここからは完全な僕の妄想ですが、シチュエーションは愛を交わしている最中かその直後。男が背中に冗談で「ばか」って書いてクスッと笑う。ねー。みなさんも経験したことがあるであろうあの、甘ったるい時間。本当に「ばか」という文字を判読できなかったのか、それともわかっていれど、もっとたくさんの入れ墨のような言葉を直接肌に着床させてもらいたくて、わからないふりをしているのか。指の飛沫、という言葉からはさらにイメージが広がるのだけれど、後は読む方たちの想像力におまかせします。背中に届いた、という箇所でもう心がぐぐぐっと持っていかれた詩でしたね。

上に紹介した詩以外にも、様々な印象を受ける詩がたくさん入っています。

・小さき存在に思いめぐらす「小さな花」

・幼子にむけた暖かいまなざしの「いいよ」

・とても悲しい事実をギリギリの表現で描いた「生きる」

・たった4行で世界の根源的な矛盾にせまる「弱い雛」

・まるで一冊の清い絵本のような「船--a boat

・神様の存在とはどういうことなのかを全てひらがなで、ちょっと愛らしい禅問答のように記した「べごにあ」

・その詩に、カルバドス・和三盆・みるくてぃ、という言葉が使われていて、美味しそうな表現に感化されて僕は、紅茶・うぃすきー・黒糖を、近所のスーパーにダッシュで買いにいってしまった詩「カルバドス世界を信じる」

・病にかかってしまった人に、あぁ、詩人とはこんな言葉を投げかけられるのか!!と感嘆、感動した「I.彼女」

・「祈り」と「愛の正体」を、アルコール依存症をモチーフに13ページの長編で圧倒的に展開していく「サンフランシスコ」

・そこに並べられた言葉のやさしさを、最後の1行で全て別の意味に変えてしまう「楽園」

・そして、小声でささやくような問いかけをしている少女の映像を勝手に思い、その愛しさから脱出できないタイトル詩「恋文病」

もうきりがなくなってしまうのでこの辺で。この「きりがない」ということこそまさに恋文を書いている時の心ではないか!相手のことを垂直に落下するような気持ちで思いながら何時間もペンを走らせる。間違えたら書き直し、その度に(旅に)言葉を練り直し、相手が喜びそうな、しかも自分の気持ちも100%表現できている言葉を血眼で探す幸福な時間。

なのでこんなに長くなってしまいましたが、このエントリーを書いている時間はひたすら楽しかった。最後に、彼女の別の詩集「ドストエフスキーの青空」より、読んでいる最中に涙してしまった詩「きみに。」を引用させていただきます。ある学校の卒業式で読まれた詩とのことです。


「きみに。」

雨が降ったら地面はぬれる
風が吹いたら葉っぱがとびちる
木はゆれる。

自然にならってほしい
生きるということをーー。

きみに
わたしがいなくなっても

きみに。

痛むときにはちゃんと痛んでほしい
それはきっと必要な痛みだから
きみに 君が生きるために。

きみに。
悲しいときにはきちんと悲しんでほしい
それはきっと必要な悲しみだから
きみに 君が生きるために。

きみに。
腹が立ったら 力いっぱい
怒ってほしい
それはきっと必要な怒りだから
きみに 君が愛するために。

きみに。
怒ってほしいけれど
憎まないでほしい
あまりに簡単だから 憎むことが

きみに。
憎まないで愛してほしい
とてもむずかしいことだけれど
きみに 君にいちばん必要だから
愛することがーー。

いうことをきかないこころと
いうことをきかないこどもはにている
でもこどもをごまかすおとなのように
こころをごまかさないでほしい
きみには。

きみに。
ともだちを作ってほしい
でも 本当は 君が帰ってくる
ひとりを豊かにしてほしい
きみの。
ひとりの豊かさはひとの豊かさだから

きみに。
なんでもできるよ なんていわない
今日もどこかでたくさんの人が飢え、泣き、苦しみ、死んでいくのに
なにもできない のが本当のことだ
なんにもできない のが私の本当の姿だ。

しかし きっと
できない わたしにはなにもできない
ここがはじまりだ きみの
君の希望のーー。

なぜなら
できないと 見つけやすくないか
できることが。

花園の中で気に入ったバラを見つけるより
砂漠の中の一本のバラを

想像してごらんよ
その薔薇が
君だと。

その一本の薔薇を今日君に贈ります
卒業おめでとう。


「恋文病」
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0023

ドストエフスキーの青空」


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